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Let Estimation Down ?


 久々の(前回は5年も前です・・・って位、20世紀前半の欧米限定時代とは様変わりしましたねぇ)日本人物理学賞で日本が沸いています。中には、STAPの汚名を払拭したとかの面白いはしゃぎ方の人も湧いているようです(赤崎氏の記者会見でも、そんな"うつけ"おっと失礼、うかれ者がいたとか)。
 それはさておき、今回の受賞、無教養のぼくが言うのも何ですが、どこか???の感が否めません。中村さんには、既視感があるからとか、今ではアメリカ人だ、と言うのではなく、受賞(正確には"授"賞ですね、受ける方ではなく授ける方の問題です、が、以下、"受"賞で統一します)内容にです。



 発光ダイオード自体の発見(発明?)ではないですよね(ちょっとググったら、ホロニアックさんという人が1962年に発明し、存命とのことです)。その方の受賞をさておいて、ついでに、LEDを最初に実用化した赤色LEDとか黄緑色LEDの発明者(こっちも、ちらとサーチしたら、西澤さんで半導体デヴァイス関連では、第一人者らしいです。もちろんご存命です)も、まだですよね。
 更に言うと、その発光ダイオード自体、レーザーと言うかなり大きめの発見に依拠し、そして、レーザーも、量子力学と言う超弩級のパラダイム転換の上に乗っています(さすが、量子論とその2層下のレヴェルの発見になると、賞の正当性が疑われますから大量に受賞してますね)。
 なので、本来?なら、青色LEDクラスだと、ノーベル物理学賞付属技術部門賞、とか、ノーベル・シルヴァー・プライズ的な扱いの方がしっくりくるのですが・・・それでも、シルヴァーはホロニアックさんで、ブロンズが、西澤さんで、赤崎さんも辛うじてブロンズに引っかかるかな、というイメージです(*1)
 それで言うと、タウンズさんらレーザーの基本原理の発明者がゴールドで、プランクとかボーアとかは、ダイアモンドとかプラチナになりそうですね(って言うまでもなく、おバカな素人の印象だけど。ついでに、プラチナ以上の対象者になると、敬称は必要なくなってくる不思議)。
 ノーベル自体は、発明品(就中、ダイナマイト)で儲け、かつ投資的活動でも膨大な財産を築き、早とちりの死亡記事で"死の商人"と紹介され、慌てて改心し、その遺産(の利子)を、"人類への最も偉大な利益をもたらした人たち"に、ということなので、どちらかと言えば物質的幸福に直結するものを優先していたようです(*2)
 理論と技術(*3)は、人間世界を大きく深く豊かにする両輪です。そして、物質的生活が恩恵を受けるには、理論は技術を経なければなりません。基本的な原理(量子論)だけでは、液晶画面(もちろん、ブラウン管も)はないです。
 しかし、理論がなければ技術も発芽しない可能性の方が遙かに高いので、やはり、理論の方を優先したいです。
 ノーベル賞というものに、何となく不満(選好の不明瞭さもさることながら、見事なマーケティング戦略に世界中が嵌まってしまうこと) はあるものの、それに価値を置くからには、日本(日本文化の一環)として、分野を限らず理論研究をもっと積極的・大々的に進めていく環境を整備して行ってくれれば嬉しいというか頼もしいというか。
 更にイグ・ノーベル賞もがんがん取れるよう(まあ、こっちも結構獲っていますが)な風土であれば日本人として大いに誇りと言うかその幸運に与れるでしょう。

*1  やや人を貶めるような感想の感じもして恐縮ですが、中村さんは、ノーベル賞"クラス"の特許程度の印象です・・・ブロンズには入らないような、ティンorアイアンorジンクorアルミナム(←どういう価値基準か分からないのでテキトーに並べました)。
 物理学賞ではないですが、2年前の山中さんのときは、技術的な功績が強かったとは言え、この違和感はありませんでした。技術的な面で、大河の源流だったし、理論的価値(生体細胞可塑性の確証)もある感じです(ぼくのテキトーな賞の色で言えば、ゴールドかシルヴァーか)。戻る
*2  英訳?の"benefit"は、"ご利益(りやく)”のニュアンスが窺えます。
 ついでに、"平和"についても、理論ではなく、と言って技術でもなく、感情的かな。ダイナマイトを武器に使用しないで、ってな感じですか?
 うーん、その意味では、オバマさんを選んだのは、きちんとノーベルの遺志を汲んでいるかぁ?!戻る
*3  "科学"と"技術"の対比が普通ですが、その場合の"科学"は、"哲学"と言いたいものです。
 哲学が科学に分節(特定の科目に特化したその範囲での実証性を重視)し、また、哲学(普遍的な説明を考える)へと回帰しつつある現代なので。
 ただ、哲学と言うと、別のニュアンス(科学を経ない理論体系or言説)が生じるので、"理論"、と逃げました。
 ついでにもっと大きな逃げを白状すると、
 手法とか工法の発明も理論(世界のメカニズムに関する新しい発想)があるでしょうし、理論(=世界に関する考察)も、試行錯誤的に成立した技術から構築されこともあるので、どこから技術とするか、何を理論というか、ぼく如きには分かりません。戻る
by yasumim | 2014-10-08 15:41 | ナマクラ・ツッコミ


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