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格差社会は擱座社会?

 <棘皮動物では中枢神経系が発達していないが、ただつっ立ていても食べていけるものに複雑な神経系はいらない。    (中略)    もし、棘皮動物を「頭が悪い!」と軽蔑するなら、「悪知恵をしぼらなければ生きていけない生活をしている方がよっぽどバカだ」> (本川達雄「ゾウの時間ネズミの時間」より)



 確かに頑丈な殻を持ち、流れで運ばれてくる豊富な餌を楽しみにしていればいい珊瑚とか海百合など、高度な神経系や敏捷な筋肉を発達させる必要はない。神経系を発達させ、高度な計算をすることと、何か意欲を持つこととは、鶏と卵のような因果関係だろう。ことの発端は、生存の危機にから逃れるためで、非力な故に、過酷な環境に棲まなければならない羽目に陥った生物の宿命だ。

 日本の所得格差が拡大している。それをジニ係数が如実に表している。バブル前は0.2の非常に平準化した社会だったのが、特別な理由がない限り改善した方がいい、と言われている0.5に今にも達しそうな勢いだ。単純化し、富者と貧者の2層に分けると、ジニ係数0.5では、3000万人が、平均年収900万円で、9000万人が、100万円ということになる(日本の一人当たり平均年収を300万と仮定。単純に所帯に換算すると、1200万所帯が2,250万円で、3600万所帯が250万円となる)。
 なるほど、勝ち組負け組で凄い差になる。格差は所得だけではなく、下流社会の形成し*1、かつ、それが固定化されていく   競争の敗者は敗れたことにより、敗者を再生産を余儀なくされる。
 自由競争の行く着く先がこういう社会で、本来の競争によるダイナミズムをなくす。そして、正当な競争を外れた、つまり、犯罪による格差解消がはびこる社会でもある。ジニ係数が見事に象徴している勝ち組負け組がはっきりしてきた社会、小数のヒルズ族と多数のフリーター・ニートたち。
 日本は、格差を縮小するために早急に手を打たなければ地点に来ている。    と、言うのが昨今の主流をなす論調のようだが・・・おっと、待ってくれ、だ。
 ジニ係数0.5に近づいているから、是正しなければならない、というのは、短絡反応じゃないだろうか。
 ジニ係数は統計指標に過ぎない。一人当たりGDPが、3万ドルの国と300ドルの国では、同じジニ係数でも、生存に対する格差はまるっきり違ったものになる。上で仮に計算した日本の下層社会の平均は、300ドルの国の30倍の所得になる(購買力は、そんなに差が付かないにしてもかなり大きな差だろう)。
 所得水準の高い日本では、下層レヴェルでも生存に直接響くような危機はないし、それ故の犯罪へのドライヴもそう高くない(最近の凶悪犯罪は、日本土人のものというより、外来人によるものが多い)。
 一般論で言えば、裕福な国だから下層社会が下流社会化し、上流への対流が少なくなる。下流社会は、上昇志向を見せないグループを言う。NEETは、NEETであっても、そこそこの生活が出来るからNEETでいる。フリーターも収入が低いことで生存が危機に瀕しているようならば、本気で正規雇用の道、あるいは必死で収入増の道を探るだろう(←あくまでも、一般論だが)。  一方、勝ち組と呼ばれる、とくにIT起業家とか、マネートレーダーたちにしても、生存のために金が欲しいのではなく、金のために金が欲しいのだから、その金の使い道は、特に金が必要なものではないものに金を使う    より金を集めるために金を使うようになる。
 これで、生活の質が高い、と言えるだろうか。耽るものがある、というのなら、オタクとどっちが深いだろうか。
 ニートやフリーターは、生存のために金を稼ぐと言う圧力が非常に低くなっているから、金を稼ぐ必要を見いださないのだ。金に価値を置かなくなっている。
 冒頭で引用した棘皮動物と同じ理屈だ。金を稼ぐことなく、生きて行かれるのに、なぜ、金を稼ぐ必要がある、と言うわけだ。
 格差社会の大きな要因に少子高齢化と言うのは、正鵠を射ている。ただし、同じ事態の別面という意味でだが。
 各個体の生存の危機の圧力が減れば、不慮の死が減るという意味で各個体の寿命は延びる。人口を一定にするためには、少子化しなけければならない。人口を一定にしなければ、資源が不足するからだ。資源供給のための適正人口と人口の集積による資源消費のバランスがどこか分からない、というより正解はないだろうが、日本では、現在のレヴェル辺り適当だろうと日本人が(無意識に)計算したのではないだろうか。特殊出生率が極端に下がっているのは、調整期間と見ることも出来る(そう見る方が、自然に思える)。晩婚・高齢出産へのシフトなどで、合計特殊出生率の算出も変わってくるのではないか*2

 少子高齢化と下層社会の出現は成熟した産業社会の結果だ。成熟した産業社会とは、極度に発達した資本主義社会を意味する。生存の確保のための資材生産のためだった資本が、資本を得るために商品を生産せざるを得なくなった社会。マルクスの言うように共産社会へ進むために絶対に通らなければならないステップだ。
 単に生存するためだけに資源を使う従来型の労働による社会は行き過ぎて、かえって時代の桎梏になってきた。次の段階、マルクス用語を拝借すれば、下部構造主体ではなく、上部構造主体に人間の住む世界が変わりつつあると言うことではないか。
 それを見据えれば、格差解消、少子高齢化対策、教育etcについて今の付け焼き刃的政策論議とは、まるで違った方略が構想できるだろう    まあ、その前に、世界(地球)全体として考えれば、まだまだ下部構造の充足が必要な段階なのだが。

*1 所得と言う点だけに注目したグループ分けには「下層社会」を当て、生活の質まで考慮したときは三浦展氏の言う「下流社会」を使う。

*2 よく知らないで言うのも何だが、現在提示されている計算値には、それらも織り込み済みなのだろうか。たとえ、そうだとしても、変換期の大揺れで、針がふれすぎたのが現在の値で、いずれ特殊出生率が2.0を上回る時代が来ることは充分考えられる。
by yasumim | 2006-05-17 23:59 | ナマクラ・ツッコミ


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