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数学はあやしい

 怪しくて、妖しい。
 何しろ、いい加減だ。0.9・・・(9の循環小数)が、1だなんてことを平気で言う。自然数は無限にあり、自然数の数と偶数の数、そして有理数の数は、同じだなどと無茶なことをいい、その上で無理数の数は同じ無限大でも自然数の無限大とは無限大のモノが違う(より多い)と言う*1
 まあ、数学は論理ではなく、数覚という特殊な感覚の持ち主でないと分からない、ということらしいからぼくには分るわけがないのだが、それでも、自然数からして、なんだかよく分からないと文句言いたい。ペアノの公理で、自然数が定義されているという。
 まず、0ありきで、どんな自然数をとっても次の数があり、異なる自然数の次の数同士は同じ数じゃなくて、0より前の数字はない、という。が、これが当たり前のようでいて怪しい。なんで、ある数の次(サクセサー)--ある数に+1したもの--があるというのが保証されているのだろう。もっと言えば、そもそも、<+1>するというのがどういう行為なのか、分からない人には永遠に分からないのだ!
 数直線で書くとプラス方面にもマイナス方面にも無限に数が続くことが何となく分かるし、0(始まり)とか1(「次」と言う意味にもなる)という特権的な数がなくなる(相対的になる)。が、この自然数の定義で言うと、0から始まり、その前がないということは、0の対極に終わりがないと考えるより、終わりがある、ある数より先がない点があると見る方が普通ではないのか。
 また、素数という、奇妙なだが、本質的な役割をもつ特権的な数が、でたらめに存在して良い*2のだろうか。
 ギリシャの三大難問は、全て不可能と証明されたそうだが、たとえば、デルポイの神殿を倍の容積にしろ・・・立方根を定規とコンパスで作図しろ、と言うのが不可能というのは本当に納得できるのか。数覚以前にぼくには正確な数学的知識がないのでイメージになるが、要するに、定規とコンパスは、2次元であるから、その式は高々2次方程式になる、よって、3次元の根を求めることはできない、という詐欺的証明に思えてくる。なんで、図形の問題を、代数の問題にすり替えることができるのだろうか。
 ぼくには、数学が分からない・・・分からない人にはどうやっても分からないのだ。

*1 実際は、数ではなく、濃度。濃度とは、集合の大きさのようなもので、いずれも無限大のメンバーを持つが、その無限大に大小(包含してしまう方が、当然大きい)がある。偶数も有理数も、自然数とはどこまで言っても1対1の対応が付く*1.1ので、同じ無限大(の濃度)・・・可付番の無限大としてアレフ0と呼ぶ・・・になる。無理数は、自然数で対応できないメンバーがあるので、大きい、とする。

*2 リーマン予想から、素数の分布を計算できるそうだが。
by yasumim | 2005-05-12 00:14 | 幻想肯定と妖気扉


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