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ぐんぐつの音が聞こえる。※ 「軍靴」が、一発変換できないのでかなのままにしている

(↑ この流行も、飽きの気配?)
ということで、衆院を強行突破した安保関連法案に強硬な反対の狼煙(←「ろうえん」もカナ漢字変換メンドかった!)はまだ燻っています(燻った狼煙は、正しい信号を伝えない?!)。

A.「憲法違反」「立憲主義の破壊」
B.「数の横暴」「強権政治」
.「戦争の出来る国になる」「殺したり殺されたくない」→「子供や孫が徴兵される!」
d.「議論・説明の不足」・・・横暴な政治手法という上記B的な観点ではなく、技術的な点   乱立する"○○事態"の整理とか"個別的集団的"の範囲なんて辺り   の議論や説明が不足
ω. 「原発反対」「環境保護」ついでに「イルカ追い込み漁反対」

 ざっくり分けるとこんなところでしょうか(d.は小文字が似合いますねぇ、.は太文字にしますか。ωは、ギリシャでいいかな・・・オメーガ言うか、のシャレまでは意図してません)。
 安保(60年?70年?)以来の盛り上がりとのマスコミ報道もありますが、どうなんでしょう。インターネットの所為で、TV・新聞の影響が落ちているのか、それとも、血気盛んな若者が激減しているからか?(それに、台風の方が大事ですよねっ)



10本一絡げ(+1本)の法案はどこかザハ・ハディド氏の意匠とそのコスト(*1)を彷彿させ、安易なたとえ話の多用は、東京オリンピックおもてなし制服センスだけど、反論の方も、ヘボ碁(特に、ぼくの切った張ったの筋悪の上、勝手読みの碁)を見てるみたいで落ち着かないってか?(・・・本当は、もう少しまともに評価したいんだけど・・・あっ、いやいや、「君って、バカなの?」(*2)なんて口が裂けても言いませんよぉ)。
 劇的に変化し続けている世界で、日本として平和と安全をどう確保するか。これを見据えた反論と言う味わいがないです。反対することだけが目的で、木を見て森を見ない形振り構わぬ理由付け、かと。
 戦争でなくとも、人を殺すのは嫌です。座して死を待つ、と言うのはもっと嫌です。殺すよりは殺されたいとのマジな思いは、個人の信念としては傾聴に値します。だけど、国家(国土・国民の存続を図る)としては、どうでしょうか・・・9条9条って聞こえた気がしたけど、空耳でしょう(*3)
 そういうこと(←どういうこと?)で、余計なことですが、ぼく的には気になるので、d.からA.に向かって見ていきます(と言っても、一般的なマスコミ報道と、一部ネット情報から得た情報からなので、かなり、いい加減な態度ですが)。
 
 (1)d.について
  「存立危機事態」「武力攻撃~」「武力攻撃予測~」「グレーゾーン~」「重要影響~」・・・うーん、聞き慣れない、かつ厳めしい言葉が並んでます(グレーゾーンが厳めしいかどうかは置くとして)。こりゃ、多くの耳が聞くのを嫌がるの、分かる分かる。法律用語っぽくしたいのはわかるんだけど、語感・字面のイケてなさ感ハンパねぇっす。レヴェル1,2とか、レッド事態/イェロー事態とかにすれば、少しは聞く気 or 分かった気になる?・・・これもダサイか。
 ただ、科学的な定義と違って(*4)、国家の平和と安全に関する事態の定義や分類は、ばっさりとは行かないでしょう。
 だからといって、具体例を一つ一つ検証するのは有限時間内では無理だし、すぐ先で想定外の例が発生しそうです・・・ってか、基本、具体例出しちゃうと平和と安全とは逆の方向に行っちゃてダメやろ(←外交困難事態、外交破綻事態、とか言ったりして)。国会で国名確定できる具体名が発言されたら、仮想敵国以上宣戦布告以下の外交関係になりますよね、普通(*5)。・・・まあ、本音(この法案の喫緊のターゲット)は、当該国のみならず世界中に廃品回収車のスピーカー並み音量で響いているんでしょうけど・・・
 <各事態のイメージ湧かないから具体例出せ!>的な執拗な嫌がらせに辛抱強くスルーを繰り返す安倍さんの態度は、賞賛すべき以前に当然のことで、議論遅延の責めは、野党にあるでしょう。

(2)C.について
 「平和」をどう構築するか「安全」をどう担保するのかの前提なしで(あっ、9条を守る、とかの理念ではなく、理論かつ現実的な状況把握とその対応策ね)、「戦争の出来る国にするな」は、キャッチコピー(いいから黙って9条守れ)に過ぎないのでは?
 まあ、平和・安全の現実的担保については置くとしても、「戦争」とは何か? は考えましょうよ。
 (と言いながら、そこに嵌まるとメンドイので、後でA.辺りで軽くやっつけますか)差しあたり、自衛は戦争ではなく、自衛権は禁止されていず(憲法に記載無し)、現在の自衛隊はその具現化とするものとします(←議論の余地なく違憲だという人は、A.へ飛んでください、よろしかったらですが)。
 この前提(自衛≠戦争)で、C.をベクトル分解すると
 C.1 集団的自衛権の行使は他国の戦争に巻き込まれるから戦争することになる。
 C.2 戦争でなくとも、ともかく、自衛隊のリスクが増大する(殺されたり殺したりするリスクが増える)→更に日本が標的にされるリスクが高まる。

 C.1で、個別/集団的から先に論うのは、どうなんでしょう。
 自衛権の実現方法・手段として個別的/集団的が考えられるのであって、自衛権行使を(ここで、仮に、ですよ)戦争でないと認めたら集団的自衛権行使は、戦争ではありません(自衛の1手段です)。しかも、集団"的"なので、品良く言えば限定的だけど、身勝手というか狡いと言うか、集団としての自衛ではなく、自国にも火の粉がかかりそうな部分のみの防衛を集団の一員として行う、ということです。他国の"戦争"はもちろん、(自国に関わらない)"防衛"への支援はきっちり排除しています。世界貢献(これも、あくまでも平和の維持目的ね)にしても、及び腰の後方支援です(まあ、確かに軍事的に価値が高く、それ故、リスクも高いとは思われますが)。
 
 ≪※ えーと、権利はあっても"絶対に(forever)"行使できない的発想は、やっぱ、おかしいでしょう。行使できることを保証するのが、「権利」、じゃないですか。「我慢しますよぉ、堪忍袋の緒が切れるまではね」辺りで手を打ちましょうよ(堪忍袋の緒が、どの程度で切れるかは議論の余地がありますが)。≫

 C.2のリスクですが、活動内容が変われば、リスクの内容は変わります。マイナスが増大するか減少するかは、難しいですし、全体のリスクと部分のリスク、どちらを優先すべきか、これまた意見が分かれるところでしょう。何のために国家を作り、何のために民主主義を導入したかを考えれば、全体のリスクを軽減する方を優先すべきだとは思いますが。
 自衛活動には、そのことで、人が死んだり、人を死に至らしめたりするリスクはほぼ必然的に伴っています。
 警察活動、消化活動、災害対応、遭難救助、防疫処置・・・どれもです。中でも、警察活動では、"殺す"/"殺される"リスクは、かなりのものでしょう。ついでに、考えたくもありませんが、不治の伝染病が蔓延したら、地域隔離し、その地域を消毒or殺菌する(=感染者ごと)なんてこともフィクションでは済まなくなるかも(既に起きている?)(*6)
 多くの人(例えば、国民とか地域住民)の"死ぬ/死なす"、"殺す/殺される"リスクは、これらの活動が整備・高度化されていることで、大幅に減少することが期待できます。実際の活動(の高度化)自体でも、リスクは大幅に改善されるでしょうが、予防/抑止力の方が遙かに効果あるでしょう(*7)

≪※ ついでですが、グレーゾーン事態や重要影響事態での武器の携帯/使用要件が変わるだけで、自衛隊員の"殺す/殺される"リスクは、大幅に減少されるものと期待できます。逆という見方も否定は出来ませんが、歴史とか兵法(ex.孫子)に鑑みれば、減少する、と判断する方が優位ではと。≫

(3) B.について
 数の横暴を言えば、改憲拒否って、少数派の横暴ですよね。たった1/3の拒否で発議すら出来ないのですから・・・というのはおいて、十分な審議/説明なしで、数の論理で押し切られた、らしいですね。
 私見で申し訳ないですが、先に挙げたd.の絡み(技術的な議論)もありますが、時間的には十分ではないかと思います(無条件阻止派からすれば、無限でも不十分でしょうが)。
 焦眉の急なので、時間(期日)を限る必要もあります。それを、何が何でも時間切れさせ隊(焦眉の急、と言う判断は否定していないようですが・・・あっ、それ故ですか?)が、本筋とは離れた、政治家の言動とか態度の問責(*8)に多くの時間を割いてしまいました。当法案の持つ問題自体はかなり前から顕在化し、相当な研究や水面下での検討もされていたはずです(提案者側にも問題あるのかも知れませんが、ミエミエの審議引き延ばしの方が遙かに罪が重いと思います)。
 法律としては、確かに、定義は生命線です。ましてや、今までなかった概念(砂川判決は別にして、個別的・集団的はおろか、憲法には自衛権という概念がなかった)については、定義にこだわるのも当然と言えば当然ですが、それに終始しては大局を失うでしょう(定義については絶対がないので、適当な落としどころで手を打ち、実質の議論に傾注する方が生産的)。
 横暴政治については、野党側の審議拒否とか(意味ある)内容不在の問詰、議場内での一斉プラカードや涙のパフォーマンス等は、個とか私の論理(その上、情にまで訴える)による横暴で、こっちの方が正当性が弱いです。数の論理で通すのは、一応ですが、民主主義・議会主義の原則に拠ってはいます。
 日本の政治風土(←今後も、風土と言える程度の時間では、大きく変化することはないでしょう)では、時の一政府が易々と、"横暴"   どこぞの国(複数)のように法律の適用(成立)が、いい加減(例えば、時間的に遡及してしまうとか、国際法とか協約に反する法律をバンバン発効してしまう)   なことができそうにないです。かなりの強さで、言論の自由が保証され、国民の代表の選出権も保証されています。
 そして、説明が不足、というのは、それを囃し立てている多くのマスコミにも責任があると思います。
 多くのマスコミが、少数のサイドというより反政府に立っている感じです。
 C.で挙げた代表的なキャッチコピーをキャッチコピーの体裁そのままの形で報道し、それをネタに(キャッチコピーのまま)論説を拡げています。これは、声の大きさによる横暴とでも言いましょうか。
 報道番組のオープニングで、いきなり「人を殺したり、殺されたりするような法律はいかがなもんでしょうか、詳しいお話を専門家の○○さんにお聞きしたいと思います」と荘重な顔つきで始められたら、「そうなんだ、嫌だなぁ」と感情の経路がそっちに行ってしまう人も結構いると思います(憶測ですが)。だめ押しで○○さんは、反政府のための弁論をするし(コンテクスト無視の論旨つまみ食いで、断片としては事実とか正論だが、全体像は恐ろしく歪つ)。
 また、歯止め   解釈で、ずるずる"戦争"に繋がることへの不安解消   にしても、言語は、全体の中で、意味と価値が位置づけられるので、状況の変化で解釈は自ずと変わらざるを得ない。どんな制限を入れても、その制限の解釈も絶対正解はない。よって、(解釈がずるずる変更されていく)歯止めに当たるものを提示できないと言うことを以て、議論が尽くされていない、というのはお門違いでしょう。
 
 ≪※ 徴兵制云々は、この法案の議論と無関係です。憲法解釈変更を許すなら、徴兵制も可能になるじゃないか、と言う単なる冗談(法案内容自体の審議の材にはなりません)です。それに対して、軍事の高度化、とか憲法18条とかで反論してますが、付き合う必要はありません。いや、付き合ってはいけません、法案の審議を真面目にやらなければいけません。
 言わずもがなですが、この冗談的挑発に憲法18条を反論材にするのは筋悪もいいところです。解釈を変更したらやばいことになるんじゃない、と言ってるのに、この憲法がある、という、何考えているの。18条だって解釈変更できるよね、と相手に塩を送ることになります。現に石破氏が自分の方からそう言っちゃったし。≫

(4)A.について
 これが、ラスボスというか目玉というか肝なのですが、(ちょっと前にも書きましたが)憲法学者が言う違憲の根拠は、憲法解釈が継続していない、の一点に集約されて、全く、肝っぽい感じがしません。中には、憲法のどこをどう読んでも集団的自衛権は認めてない、と断言する方もいらっしゃりますが、<どこをどう読んでも>だけでは違憲の理由にはならないでしょう(きちんとした理論を発表されているのでしょうが、その要点を、国民の理解に供する形の報道は、ぼくだけかもしれませんが   それでも、多くの新聞・TVのヘッドラインには目を通しているつもりです   寡聞にして寡見で、記憶にありません)。

 憲法のように、時宜に合わせるのが難しい原則は、むしろ、時宜にあった解釈をすべきではないでしょうか。
 確かに、改憲がベストです。早急に時宜(& 一世代後位の未来のヴィジョン)に適わせたいです。たとえ、内容を変える必要はなくとも、時宜にあった文章に革めるべきです(*9)
 ただ、改憲は保守性が異常に強い(過半数ではなく、明白な少数・・・1/3で拒否権を行使できます)ので、現状にあわせた適用(=解釈)は必須です。例えば、<庶民にとっての高額>の解釈が、60年前に1万円だとしたら、今なら100万とか。現在のサイバー犯罪を、半世紀前のどの文章を解釈すれば表現できるか(憲法で言えば、武力、戦力等の解釈に影響)。太陽系の惑星の数なんて恒久不変そうなものまで、今世紀に入って解釈変更させられてます。
 その解釈が(語用論的に)可能なら、合憲というしかなく、解釈をころころ変えてはならない、というのは過去の(現在から見たら間違った・・・全てを尽くしていないと言う意味で)解釈に固執せよ、と言うことになります(どうしても、違反だと思ったら、最高裁判所に訴えるしかない)。
 ついでにいうと、内閣法制局は、内閣の"助言"機関ですし。
 そもそもが、行政というものは、法律(憲法を含む)を解釈して具現化するもの機能でしょう。解釈無しに法律を実現することはできません(幹だけではなく、葉や実を付けてこそ木になる・・・根っこは何処行った? もとい、骸骨だけでは人間になりません。肉皮管腱等が必要で、その付け方次第で、全く違った個性ができます)。
 で、もう少しまともな人は、法の継続性がない、と言うらしいです。これも正確に言えば、行政の継続性がない、と言うべきだと思いますが、言葉(状況の表現)は、時々刻々変化し、ある程度のスパンでみると、大変貌を遂げていますので、それに合わせる政治はむしろ、望ましいのではないですか。
 最後に、お騒が言葉の「戦争」が何を指すか、軽く触れておきましょう。
 もちろん、時代によって、また言語(ex."war")によって大きく異なり、語義・使用は、様々です(辞書を根拠にしようにも、辞書毎に微妙に変わりますし、1つの辞書の定義でも多岐に渡っていますし、同じ辞書でも版が違えば、異なることもあるでしょう)。
国と国との武力衝突に限っても
 ・国際紛争事案で、宣戦布告無しの武力攻撃は戦争に入るのか。
 ・一方的侵略・破壊活動への防御は、戦争に入るのか
 ・更に国以外の勢力(宗教組織、マフィア等)の武力による国家的規模の権利侵害はどうなるんだ。
 等々、(別の言葉を生み出すことも含め)どれを採用するかは、世界のありようでの態度(その時代のその当事者の生き方)次第になります。
 日本国憲法9条1項で言うと、「国権の発動たる」戦争(英文では、war "as a sovereign right of the nation"。一応、以下で、日本語と同じ概念を指すものとします) と記述され、「権利」 と絡んで限定されています。
 国権の発動ではない戦争があるのかどうかは議論から外せます。
 国権も詳細には議論が必要ですが、ここでは、1点    国権の中に、自衛権が含まれるかどうか    に絞っていいかと。
 国権は、国家が後発的にある程度の恣意性と偶発性を持って、能動的に獲得するものを指し、自衛権は、国家というものの基本的存立要件(自衛できないのを国家とは言えない)であるとすれば、国権の中にない(より本源的なもの)と言うことも出来ます。
 で、可能な解釈の中に、
 ・ 自衛権は国権の発動ではない。
 ・ 自衛権が国権であるとしても、自衛活動は戦争ではない
 も入れることが出来るでしょう。
 
 ≪※ 立憲主義云々は、やはり過去に「Lick'em 主義」で触れていますので、ここでは省きます。≫
 

*1  少なくとも、グレーゾーンの解消と、集団的自衛権を同じ括りの中に入れしまったのは、両方に好ましくない影響を与えたようのでは? 特にグレーゾーン側から見ると、やたらとコストのかかるキールアーチが乗せられたようなものではないでしょうか。
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*2
ばぁか、と言いたくなるのは、
1. 与えられた言説・理屈の反射(オウム返し)で終わる(情動での反射は、この範囲に入りません・・・下記で挙げる筋悪理屈を後付けづけしない限り)。
2. 牽強附会。まず結論ありきで、それを論証するために(感情とか上記の反射を肯定するための後始末)として、真摯な態度で考えないことです。
 真摯な態度なら(=結論を探求するために考える)、歪んでいたり不足していても、もう少しがんばりましょう的評価で、"ばぁか"的な評価は、出来ないでしょう(←自己弁護)。
 筋悪は、以下の3つの点いずれか1つ以上で、初歩的な錯誤を犯していることとします。
 ※ なお、初歩的でない錯誤は、ばぁかと言いがたい場合もあります、つまり、狡知な巧緻な欺瞞と区別がつきません。
(1) 構文論的 or/and 推論形式(ex.仮想敵国を策定する。それは、敵対行為である。よって、仮想敵国を策定すると、戦争になる)
(2) 意味論的 or/and 集合論的(ex.戦争とは人を殺すことである)
(3) 語用論的 or/and 共時と通時の混同(ex.侵略から守るため国外で防衛戦を行うのは悪である)
 何事も厳密な分類は不可能ですが、「人を殺すことは悪である、よって軍備はしてはならない」なんていうのは、(1)~(3)のミスを全てを兼ね備えています。
 もちろん、これらの錯誤から完全に逃れることはできないです。そもそも、突き詰めたところでの混乱(矛盾)は錯誤と言っていいかどうか。それ(矛盾)が契機になって、言語=思考そのものが進化していくのでしょう。
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*3 国内の警察当たる機能が、国際社会にあれば、自力救済の放棄、と言う選択もあります。ただ、それが整備されない内は、何らかの自警努力は必要です。用心棒を雇うのもありですが、警察力が不備不足時に、全面的に用心棒に頼るのは、かえってリスクを高めそうです。まさか、世界中が同じ価値観を持ち、かつ目的とする利益が矛盾的競合関係にあっても善意でのみしか行動しないとか思ってないでしょうね。
 国家と言う単位がなくなれば別ですが、当面はその方向(それも、人類全体にとって良いと思われる)に行く雰囲気はありません・・・いや、雰囲気位はあるかなぁ。でも、本気で実現しようとする動きは限りなく皆無に近いのが世界の現状です(逆に悪そうな方向は、結構見られますけど。宗教的とか、一国膨張的とか、経済利益独占的とか・・・)。
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*4 例えば、台風。
 熱帯低気圧で北西太平洋上または南シナ海にあり、最大風力8以上のものを台風というそうです。
 更に、「熱帯低気圧」は、熱帯の海上で発生する低気圧、「北西太平洋」は赤道以北東経180度以西の太平洋、「風力8」は、10分間平均34ノット以上等々、誰でも混乱せずに判定できる定義があります。それで、つい最近も12号でしたか、熱帯低気圧が日付変更線を越えたとたん台風になったりして。
 えーと、この定義に従うと、風力8の熱帯低気圧でも、日本海に抜けたら(あるいは、大陸とか列島とかにいたら)台風でなくなるんだけど、「台風」11号は、倉敷辺りに再上陸しました、とさっき聞いたような気がする(公共的放送の報道で)。
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*5  ホルムズ海峡云々が公開できるぎりぎりかな。こっちは、仮想敵国になる可能性は両サイドというか複数あるので、外交的にはごまかせる・・・それでも、当該国それぞれから「われぇ、わしら、敵ちゅうことかぁ?」と詰問されたら結構、汗々(..;) かも。まあ、地政学的要素で、その心配はしなくていいみたいだけど、今のところはね。
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*6 ウィルスも含む地球生命のネットワークは、時間を追うに従って等比級数的に稠密度が高まるので、ウィルス、細菌系の進化のスピードも格段にアップし、世代交代に時間がかかる高等生物、就中、人類の対応(面倒なことに、生物学的および社会的ネットワーク両面が共鳴する)の遅れは等冪乗比級数(←こんな言葉ある?)的になるでしょう。
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*7  "たまたま"今朝(7/17)、TV(テレビ朝日)に、佐藤議員(あのひげの隊長)が出てきて「中国の東シナ海のガス田のプラットホーム増設(→軍事拠点化が目に見えている)が急ピッチで、行われています。安全保障法案で、これを止めることができます」的な説明したら、女子アナウンサー(名前に、たま、が付くらしい)が、「本当に(中国を)止められるのですか」と素朴?に聞いた。佐藤議員は、"本当に"="絶対"と思ったのだろう、断言を渋ったら、キャスターの一人(この方も、名前に、たま、が付くようだ。時折、目にするが、あまりの偏向、我田引水的見解で滔々とキーワード解説していることが多く、公平を心がけるべき報道陣に、よくいられるなぁ、と思っていました←個人的感想です)が、「ほら、はっきり答えろよ、どっちなんだ」と指さし(詰問スタイル)で怒鳴りました。佐藤議員は、責任を担う側の主要な一員として「(本当に=絶対)できる」と断言できるわけがないですから、「その(中国が止める)可能性が期待できます」的回答を繰り返しました。見た目、受け太刀姿勢だったの弱々しく、キャスターの横柄さに判定負けの絵柄です。ディレクタの指示か、国会が始まるので議員が退席と言うことで、ショー的には、佐藤議員の判定負けを印象づけることで終わりました。議員も、冷静と礼節を保つのもいいけど、こういう輩には、(議員として難癖の付けられない範囲で)ビシっと言ってやればいいのにと歯がみしました。少なくとも「世の中に、絶対なんてことはあり得ない。だが、考えられる一番効果が期待できる方策だ」的なことは、断固とした口調で言えばいいのに。できれば、「根本的には止めることは出来ないでしょう。核でも持てば、間違いなく止められますが」位まで言ってみたら・・・(まあ、このマスコミ状況では、辞職に追い込まれますけど)
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*8 言動や態度が本音を表したり、また、パフォーマンスが、政治の流れを作ることは、今までもあったし、これからもあるでしょうから、問題にするのは大変結構だと思います。ただ、本論の議論を割く、つまり、議論が熟していないと言うパフォーマンスのために多用するのは、この急ぐべき問題に対して採っていい戦術かどうか。
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*9 ぼく的には、一世代位のスパンで、憲法の是非(変更するしないに関わらず、確認の更新としても)を国民投票にかけるのがいいかなぁ、と思ったりして。
 もちろん、その1年位前(いや、投票が終わってすぐからでも、か?)から、全国的な周知・論争の場を確保すると言う前提で。
 例えば、一日辺りの投稿量制限で、インターネットによる国民全員参加の議論とか。スレッドをうまく分けたり、同時性(集中と埋没)をコントロールする手法が必要ですが、ビッグデータの解析手法からヒントがあるかもしれません。
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by yasumim | 2015-07-17 20:57 | ナマクラ・ツッコミ


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